はじめに
なぜ投資の世界には聖杯が存在しないのだろうか?その答えは簡単だ。
投資における聖杯とは、現実世界におけるツチノコと同じなのだ。
なぜこの世界にチノコはいないのだろう?それは、「ツチノコの特徴をもった生物がまず存在し、それにツチノコと名付けた」のではなく、「ツチノコの特徴をもった生物をツチノコと命名し、探し回った」からだ。そもそもこの世界に存在しないのに、ツチノコという妄想生物を生み出した。生み出してしまったから、探し回るハメになった。
聖杯も同じで、この世に存在していない。だから、いくら探し回っても聖杯は無い。
1+1という情報から、2を導き出して取引するトレード
例を挙げよう。
あなたは1+1を解いている。この問題の答えは2だ。
現実の問題文と違うのは、この問題の答えは明かされないということだ。明かされないから、「事後的に」議論しなくてはいけない(昨日の暴落は○○の影響だった、など)。
つまり、答えが2だとわからないまま、「2に近い数字」に見当をつけて対象を取引することになる。
ここでひとつ注意しなくてはいけない事がある。我々人間が情報を探す時、自分の意見を肯定(強化)する情報を探したり、信じたりする傾向にあるという。これを確証バイアスという。
問題の答えは2.00000000000なのに、2.34567890123や3.14159265359という答えが浮かんできた瞬間、それを肯定する記事だけを漁るようになる。
ただしたいていの場合、この近似的な数値をもって結論を下せば困らない。この問題の場合、確かに2.00000000000が正しい答えで、この答えに至るための素材が世界に散らばっており、それらを組み合わせて答えへの道筋を作り、その通りに取引をすれば完璧なトレードが出来、限界まで利益を搾り取ることができるかもしれない。
しかしこれを行うのはほぼ不可能である。ほぼと形容したのは未来的に実現する可能性を考慮してなので、現代のニンゲンにはできないだろう。
だから、近似的な数字で意思決定をしても問題はない。77が答えの問題に対して「77万が答えだ!!」と早合点して高値掴みをしたりするのは避けなければならないが、「だいたい100ぐらいかな」と結論づけて取引し、利益が出ればそれでいいのだ。
探究者の過ち
しかし聖杯を探す者(以下、探究者)は、この世界に存在しないものを発掘しようとしている。先ほど「答えに至るための素材が世界に散らばって」いると書いたとおり、完璧な取引をするための材料は(どうやっても自分ひとりでは知りえない情報だったとしても)この世界に存在している。それは確かだ。鈍化する経済指標、昨日の損失を帳消しにしようと意気込んでいるイナゴトレーダー、昨日○○証券会社が新しいシステムを導入した・・・など大小様々な変動要因が重なり合って価格が形成されていく。これらは買い(売り)注文となって現在値という形でマーケットに現れる。増配や期待越えの決算発表が株価を上げるのではない。買い注文が株価を上げるのだ。
探究者は、この世に存在しない事象を祭り上げて像を作り出し、それを崇め信じて取引をおこなっていく。
この世界には自然数しか存在しないのにマイナスという概念を作り上げ、その妄想に固執しているのだ。
数字間の絶対的距離という点で見れば、確かに、-25のほうが77万よりは77に近いだろう。しかしマイナス符号のくっついている手法で利益を上げ続けるのは不可能だ。それに気づいていない。だから最高の手法を見つけたと思っても次第に利益が出なくなってゆき、別の手法に乗り換えるハメになる。
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